古の伊都国を訪ねる。平原遺跡歴史公園
平原(ひらばる)遺跡は糸島の山手、
雷山川と瑞梅寺川に挟まれた丘陵地帯の怡土地区にあります、ここは古墳が多く散見されるところでもあります。
平原遺跡は1965年に発見された、弥生時代後期〜古墳時代前記の墳墓遺跡群で、
史跡地内には1号墓(王墓)と他5基の墳墓が保存されています。
この1号墓(王墓)からは、直径46.6cmの古代で世界最大級の鏡「内行花紋鏡」を含む多数の鏡と
豊富な副葬品が出土したことでも有名であり、日本国の成立に大きく関与したであろう「伊都国」の遺跡なのです。
歴史好きにはたまらないですね。
現地では、古墳の内部などは見ることはできませんが、埋め戻した後を古墳のように盛土がしてあります。
周辺は草地になっており、秋にはコスモスが一面に咲いて、とてもキレイなコスモス園となるようです。
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平原(ひらばる)遺跡は、歴史公園として整備されています
発掘された平原遺跡の1号墓〜6号墓は遺跡群として歴史公園として整備されています
公園内は1号墓(王墓)を中心に、北側と南側に駐車場が設けてあり、南北に長い散策道で結ばれています。
北側の駐車場の横、道を挟んだ両側には、平原遺跡を含む糸島の歴史がわかる石碑が建てられています。
石碑ひとつひとつに、平原(ひらばる)遺跡の説明が書かれてあります。
「平原遺跡」「平原遺跡の概要」「平原1号墓の構造」「平原1号墓、王墓の証」
道を挟んだ向こう側の石碑には、
「文化財マップ」「伊都国以前」「王都の繁栄」「伊都国のその後」として、詳細に説明が書かれてあります。
1号墓(王墓)に向かう
北側駐車場、石碑の場所から南(山手)に向かって歩いてゆきます。
平原1号墓まで、約200mです。
平原遺跡歴史公園 1号墓(王墓)に近づいて来ました。
説明の看板が建っています。
看板の説明書きには・・・・
「平原弥生古墳は、日本国家の起源として、八咫鏡、素環頭大刀、八坂勾玉之五百津之美素麻流之珠の三種の神器が出土しています。
主墓に埋葬されました天照大御神(おおひるめのむち)の鎮魂のためのコスモス園です。
花のそよぎや香りに古代を偲び、皆で大切にしましょう」
と書かれてあり、個人の連絡先が載っております。
平原弥生古墳を「おおひるめのむち」の墓と考える、原田大六先生の説に基づくものと思われます。
だから、平原遺跡周辺はコスモスが沢山植えられているんですね。
草原の中に、小高い盛土が見えてきました。
風が吹き抜けるとても気持ちのよい草原は、お子さん連れのご家族や、犬を散歩される人など、憩いの場所にもなっているようです。
1号墓(王墓)
国指定史跡 曽根遺跡群 平原遺跡 昭和57年10月4日指定
これが平原遺跡歴史公園 1号墓(王墓)です
説明書きによりますと・・・・
「弥生時代終末期の1号墓は、14m×10.5mの長方形の平面形で、幅1.5m〜3mの周溝で区画し、
排水溝を持った墓である。〈中略〉
主体部である広さ4.5m×3.5mの墓壙中央には、長さ3m、幅0.7m〜0.9mの割竹形の木棺1基が収められていた。
特に直径46.6cmの古代で世界最大級の超大型内行花紋鏡などの豊富な副葬品から、
1号墓は巫女的な性格を持った伊都国の女王墓と推定される」
と書かれてあります。
毎年10月には「平原王墓まつり」も開催されます。
その頃はコスモスがとても綺麗に咲いて、とてもステキなお祭りみたいですよ。
石碑と陶板壁
平原遺跡歴史公園の南側駐車場には、立派な石碑が建っています。
裏側にはトイレも設置されています。
2mほどの壁には、出土した鏡の文様が描かれた陶板が張られておりました。
いろんな鏡が出土したことや、その大きさなどがわかります。
古の九州王朝を偲ぶ
糸島の雷山の麓、この怡土地区を含む怡土志摩「伊都国」は、海峡を越えて広がった九州王朝「倭国」の成立前から栄えた地域でもあるようです。
日本国家の起源に大きく関わるであろう平原遺跡。そんなスゴイ遺跡が糸島にあるんですよ。
古から面々と続く人々の生き様に思いを馳せ、豊かな自然と調和した社会を次世代に受け継いでゆきたいと思います。
平原遺跡歴史公園は、墳墓の跡がある穏やかな草原です。
出土した副葬品は、近くの
伊都国歴史博物館に保存されていますので、
出土した沢山の国宝を見られたい方は、伊都国歴史博物館をぜひ訪れてくださいね。
平原遺跡歴史公園 動画でご紹介
平原遺跡歴史公園 1号墓(王墓)周りの様子をご覧ください。
※掲載している情報は、2015年4月時点のものです。
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